メタ物語的

後半の作品論では、そのような「メタ物語的」な環境のなかでそれでも単一結末の物語を語ろうとすると、「プレイヤー視点」が要請されるという議論になっているんです。これは、いわゆるメタフィクション論とまったく違った論理構成になっている。それはきちっと本のなかで説いているので、感想を書くのならば一応そこらへんは判って書いてほしい。これは読者への希望ですが。


MouRa|東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2|FRAMES INTERVIEW (3/4ページ)
http://moura.jp/frames/interview/070423/03.html

ゲーム的リアリズムの誕生」を読んだだけで、上記のことを自信を持って読み取るのはかなり難しいです。少なくとも私にとっては。でもご本人が言っているのであれば上記で正解なのでしょう。

「ゲーム的」という表現が色々誤解されているようですが、「メタ物語的」というのも非常に分かりにくい表現です。「メタ」というと入れ子関係ばかりが連想されてしまいます。「メタ物語的」で重要なのは、「メタ」であることではなく複数の物語が認識されることです。個人的には、「並列物語横断的」とか「可能物語間拡散的」と言った方が理解しやすいのではないかと考えています。

  • 「感情のメタ物語的な詐術」の例

「俺たちは、どちらか一方が自宅に帰り、もう一人がここに残ることにした。(中略)この学校に残っていたいという願望が、もう一人の俺を生んだんだろう。(中略)下の世界より、このイカレタ世界のほうを選んだんだよ」

 滋はニヤリと笑い、

「だって、こっちのほうが面白いだろう?」

「まったくだ」


谷川流学校を出よう!」3巻276ページ