「学校を出よう!2」についての仮説その3 今津地上駅乗り継ぎ説
「学校を出よう!2」についての仮説その2の続きです。
- 「今津乗り継ぎ説」再説明
前回、谷川流さんの「学校を出よう!2」に登場する5つの駅を現実の駅に当てはめる説の1つとして「今津乗り継ぎ説」を紹介しました。これはすなわち
というもので、個人的にはかなり説得力があると考えているのですが、作中のC駅の描写が現在の阪急・阪神今津駅と合わないという大きな欠点があります。
乗り継ぎの駅でプラットホームを歩いていた神田Aの足が止まった。向かいのホームの白線の内側に、昨日今日と鏡を見ているわけでもないのにさんざんお目にかかった顔がいた。
(中略)
神田Nが待っているらしい電車は、自宅のある町とは反対方向に行くものだった。
この描写と他の駅との位置関係からすると、神田Nは阪神尼崎に行くために阪神線の上りホームにいるはずです。一方神田Bは阪神芦屋から西宮北口に帰る途中なので阪神線の上りホームか阪急今津南線のホームにいるはず。ただし「向かいのホーム」という描写から神田Bがいるのは阪急今津南線のホームに限定されます。
しかし今津駅は乗り継ぎ駅ではあるものの、南北にのびる阪急の駅と東西にのびる阪神の駅は150mほど離れており、阪急今津南線のホームから阪神線の上りホームを見ることはできないのです。
- しかし抜け道はあった〜「今津地上駅乗り継ぎ説」
ところが。
私は西宮市立郷土資料館で西宮市内の古い地図を見ていた時に、昔の今津駅は現在とは大きく構造が異なっていたことに気付きました。その古い地図では、阪急今津駅は阪神今津駅に隣接して描かれていたのです。
(ちなみに西宮市立郷土資料館とはこんな建物である。ありがとう、キョン。ありがとう、長門有希。←意味不明)
阪急今津駅が阪神今津駅に隣接していた頃の絵地図が宮っ子-1993年6月号22ページに載っています。阪神今津駅の位置は現在とほぼ同じですが、阪急今津駅は今よりも南にあり、南向きの線路は東に曲がって阪神今津駅と並行するようにホームが設けられていました。これなら! そう、この駅の構造ならば神田Bは阪急今津南線のホームから阪神線の上りホームにいる神田Nを見られるじゃないか!
この阪急・阪神今津駅の並列構造はWikipedia-今津駅 (兵庫県)-地上駅時代によると1993年5月まで存在していたようです。つまり、C駅は1993年以前の今津駅をモデルにしているというご都合主義的解釈をすれば「今津乗り継ぎ説」は非常に上手く「学校を出よう!2」の舞台を説明できることになります。この説を、現在高架の今津駅が地上駅だった頃をモデルにしている仮説ということで「今津地上駅乗り継ぎ説」と呼ぶことにします。
- あながち荒唐無稽ではない?
「学校を出よう!2」は2003年発表の作品であり、その舞台モデルとして1993年までしか存在しなかった駅の構造を持ち出してくるのはちょっと強引かな、と思います。しかも「学校を出よう!2」72〜73ページでは1995年以降が舞台と思われる描写も登場しています。
その一方で、谷川流さんが1970年生まれで、西宮出身であり、阪神タイガースマニアである*1ことを考えると、谷川流さんは阪神甲子園に行くために、学生時代によくこの「今津地上駅」を使っていたのではないか、思い入れのある駅だったのではないか、とも勝手に想像しています。
また「ボクのセカイをまもるヒト」シリーズの津門綾羽紬と朝凪巽の元ネタと考えられる地名「津門綾羽町」「朝凪町」「今津巽町」がいずれも今津駅周辺であることも見逃せません。
という訳で「今津地上駅乗り継ぎ説」から推定される「学校を出よう!2」の舞台モデルの写真を何枚か撮ってきましたので次回に紹介したいと思います。では。