電撃hpの表紙から作家名が消えた

 電撃hp Volume39

電撃hp (Volume39)

電撃hp (Volume39)

を買って来たのですが、リニューアルした前号より、表紙に作家名を書かなくなっていますね。それどころか作品名(シリーズ名)さえも短縮して載せています。「半分の月がのぼる空」が「半分の月」、「終わりのクロニクル」は「終わクロ」ですよ、奥さん。文字数を少なくし、その代わりに文字サイズを大きくしてインパクト勝負ですか?高橋メソッドですか?

構図だけでもなるべくオリジナリティを入れたいもの

ミーシャ=クロイツェフ


 右は、とある企画で発注を受けた2次創作イラストのラフです。実際にはこのラフは使わずに他の案を進めて提出しました。でも、これはこれで使い道があるかなと思っていたのですが…

 http://r-s.sakura.ne.jp/ilp/mw8.jpg
 本家でも同じ構図を使われているのですね。

 重ならなくて良かった〜(汗)。2次創作と言えども構図が重なるのはトレースしてしまったみたいで嫌なものなのです。私の目指している方向は灰村キヨタカさんとは違うのです。

 なんて偉そうなことを言っておいて、他の作品の2次創作では本家とほとんど同じ構図のイラストも沢山描いてますけれどもね。(←墓穴)

マンガ的イラストを挿絵に使うことは不安定か

極近い部分で見るならば、マンガ的イラストはマンガに、絵画的イラストは本の挿絵にその源泉を見ることができる。

ライトノベルなど、挿絵として用いられているマンガ的イラストは、本来絵画的イラストがあるべき場所に納まっている。それはとても不安定な状態に思われる。

http://d.hatena.ne.jp/N31/20051203#1133575195

 その結論は少し時間が経ってみないと分からないと思います。「今までに無かった=不安定」と言うならば、マンガそのものが絵画や絵画的イラストに比べて不安定です。

  • 未来予想図その1

縁側でご老人方がお茶をずずーっとすすっている設定。
老人A「そういやぁ、わしらの若い頃は一時期流行ったアニメみたいな絵のついた小説があったのう」
老人B「たしかライトノベルとか呼んでたかのう」
老人C「いつの間にか消えたのう。あれは何だったんじゃろう」
老人A「触れてはならない黒歴史じゃのう。はっはっはっ」

  • 未来予想図その2

老人A「最近は小説にアニメ絵がついてるのが普通じゃのう」
老人B「思えばライトノベルがその始まりだったんじゃのう」
老人C「じゃが、ばあさんはBLばかり読んどったがのう」
老人A,B,C「かっかっかっ」

 なお、上記予想図は極論かつフィクションです。実在の人物、団体、事件などにはいっさい関係ありません。(をぃ)

 未来が「予想図その1」になるならば、マンガ的イラストが挿絵におさまっていることが不安定だと言えますが、「予想図その2」になるならば実は安定していることになります。いずれにしろ安定しているか不安定かは、それなりに時間が経たないと分かりません。

 とは言うものの、ライトノベルの真髄とは「不安定なこと」のような気もします。マンガ的、アニメ的絵柄は流行の波が激しくて静的には不安定(動的には安定?)ですし、どこまでをライトノベルと呼ぶかも「不安定」ですから。