ライトノベルの3つの起源と3つのリアリズム
なんだか昨日、一昨日で私の考えのいい加減さが露呈してしまいましたが、気を取り直して大塚英志さんの「キャラクター小説の作り方」と東浩紀さんの「ゲーム的リアリズムの誕生」を読み直してみました。
そこでちょっと気付いたこと。
「キャラクター小説の作り方」では「スニーカー文庫のような小説」には3つの起源があるとしています。
「スニーカー文庫のような小説」の3つの起源
どうもこれが「ゲーム的リアリズムの誕生」における、生身の人間を描くための3つのリアリズムと対応するようです。
「動物化するポストモダン2」における3つのリアリズム
- 自然主義的リアリズム
- いわゆる一般の文芸。
- まんが・アニメ的リアリズム
- キャラクターで生身の人間を描くために、キャラをキャラクターの裏に隠蔽(テヅカ・イズ・デッド)。
- ゲーム的リアリズム
- キャラクター・レベルで生身の人間を描くことは難しいが、プレイヤー・レベルで生身の人間を描くことができる。キャラを隠蔽する必要なし?
ただ、あくまで「対応」であって「一致」ではないようですね。
例えば「ロードス島戦記」は「ゲームのような小説」ですが、「ゲーム的リアリズム」とは言えそうにないです。だとすると「まんが・アニメ的リアリズム」で説得力を持たせているのでしょう。