「視線」化する少年主人公と「見られる」美少女ヒロイン
萌え理論Blog-物語的弱者に転落する主人公たち
http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20060903/p3
私はむしろササキバラ・ゴウさんの唱える「視線」化で説明した方がしっくりくるのではないかと考えます。
- 作者: ササキバラゴウ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/05/20
- メディア: 新書
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「視線」化については「<美少女>の現代史」のP170あたりから書かれています。それを私なりに解釈すると、現代の少年向けのフィクションに次のような傾向がよく見られる、ということです。
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- 積極的に動くのは美少女のヒロイン。
- ヒロインは主人公の少年から「見られる」立場にある。ビジュアルイメージではいつもヒロインが前面に押し出される。
- 主人公の少年はヒロインを一方的に「見る」立場にある。少年の主観や一人称で書かれる。
- 主人公の少年は没個性的。顔や名前すらあいまいであることがある。つまり主人公の少年は「見られない」存在。もはやキャラクターというより「視線」。
……で、そこからどう考察が発展していくかというと、済みません、よく理解していません(汗)。ササキバラさんの言う「傷つける性」に関連するようですが、……また色々読み直してみないといけないなぁ。(汗汗)
- 電撃文庫の表紙から消え行く少年主人公
あまり良い例か分かりませんが、2005年にライトノベル・ファンパーティーでライトノベル・イラストの傾向という調査をした時に、この「視線」化を当てはめられそうな傾向を見ることができました。
しかし今も昔も電撃文庫作品の主人公は少年が多いと思われます(私は刊行点数の1割程度しか読んでいませんが、多分異論はないでしょう)。ということは、電撃文庫の表紙の変化は『主人公の少年が「見られるキャラクター」から「視線」に変わることで表紙から退場していっている』ことの現れかも知れません。