「視線」化する少年主人公と「見られる」美少女ヒロイン

萌え理論Blog-物語的弱者に転落する主人公たち
http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20060903/p3


 私はむしろササキバラ・ゴウさんの唱える「視線」化で説明した方がしっくりくるのではないかと考えます。

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

 「視線」化については「<美少女>の現代史」のP170あたりから書かれています。それを私なりに解釈すると、現代の少年向けのフィクションに次のような傾向がよく見られる、ということです。

    • 積極的に動くのは美少女のヒロイン。
    • ヒロインは主人公の少年から「見られる」立場にある。ビジュアルイメージではいつもヒロインが前面に押し出される。
    • 主人公の少年はヒロインを一方的に「見る」立場にある。少年の主観や一人称で書かれる。
    • 主人公の少年は没個性的。顔や名前すらあいまいであることがある。つまり主人公の少年は「見られない」存在。もはやキャラクターというより「視線」。

 ……で、そこからどう考察が発展していくかというと、済みません、よく理解していません(汗)。ササキバラさんの言う「傷つける性」に関連するようですが、……また色々読み直してみないといけないなぁ。(汗汗)

 あまり良い例か分かりませんが、2005年にライトノベル・ファンパーティーライトノベル・イラストの傾向という調査をした時に、この「視線」化を当てはめられそうな傾向を見ることができました。

    • 初期の電撃文庫では高い確率で表紙に少年が描かれていた。
    • 最近の電撃文庫は少女ばかりが描かれていて、少年はあまり表紙に居ない。

 しかし今も昔も電撃文庫作品の主人公は少年が多いと思われます(私は刊行点数の1割程度しか読んでいませんが、多分異論はないでしょう)。ということは、電撃文庫の表紙の変化は『主人公の少年が「見られるキャラクター」から「視線」に変わることで表紙から退場していっている』ことの現れかも知れません。