心の物質化
うつ病がセロトニン不足病だったり、パニック障害はアドレナリン出過ぎ病だったりするらしい。分析学的、心理学的状態から、神経医学へ*1。
(中略)
*1:書籍を、情報ととるか、紙とインクの実体と取るか、そんな議論ではあるREVの日記-日記の断片:パニック障害
http://d.hatena.ne.jp/REV/20051227#p1
「心」へのアプローチは、精神分析より神経生理学の方が今は勢いがあるようですね。そこのところは斉藤環さんの「心理学化する社会」
- 作者: 斎藤環
- 出版社/メーカー: PHPエディターズグループ
- 発売日: 2003/09
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 29回
- この商品を含むブログ (80件) を見る
ブギーポップで言うならば、飛鳥井仁よりスプ−キー・Eの方が優勢というところでしょうか。禁書目録(インデックス)で例えるならば教会陣営より虚数学区の方が押してる、みたいな感じ。*1
しかし神経信号や脳内物質の動きを把握することで人間の精神活動を可視化するのは…医学的に役にたつのはありがたいとしても、それで人間自身を説明できるものなのでしょうか。いや論理的な根拠はないのですが、自分を含めて人間が、生命が、究極的には有機物でできた機械に過ぎないと考えるのはロマンチックじゃないです。なんとなく。そうささやくのよ。私のゴーストが。
*1:非常にいい加減な例えなので参考にしないでください。