複製・配信メディアによる消費形態が紡ぐ物語

学校を出よう!〈3〉The Laughing Bootleg (電撃文庫)

学校を出よう!〈3〉The Laughing Bootleg (電撃文庫)

学校を出よう!3」における光明寺茉衣子増殖事件を、アイドルタレントの消費のされ方と重ねてみた考察。興味深いです。

 私は光明寺茉衣子の増殖を、コミック・アニメ・ライトベルに登場するキャラクターが二次創作で好き勝手に消費されていく様子に重ね合わせて解釈したのですが、実在のタレントが消費される様子もそう変わらないのかも知れません。

 現代人は、コピーに囲まれて生活しています。身の回りのものは大半が大量生産品です。モノだけではありません。電気・ガス・ガソリンといったエネルギーだってプラントで生産されたものです。もはや飲料水ですら浄水場で精製されたものか工場で充填されたものを消費しています。食べ物だって……ねぇ?

 情報も、自分で見聞きする以外はメディアで複製され配信されたものを受け取っています。そして自分がその情報に乗る側になった場合、生身の人間も(最初からメディアで配信される情報内に生きるキャラクターと同じように)、受け手側によって「オリジナルなきコピー」として消費されることから逃れられません。

 自分は自分一人だ。この世界に生まれた限り、この光明寺茉衣子こそは唯一人のわたくしです。



谷川流学校を出よう!4」343ページ

という光明寺茉衣子のアイデンティティは、その主張とは裏腹に、確固たる「私」ではなく、繰り返し複製され拡散され、どこまでが境界か分からなくなった「私、みたいなもの?」を通して描き出されていきます。

 それは『コピーされ、ばらまかれたものを消費するシステムが、それでもどんな物語を紡ぎ出す可能性があるのか』を描いていると解釈することができると思います。少なくともメディアを通して複製された物語を受け取る私には、そうしたシミュラークルな戯れをすることが許されているでしょう。