メモ - 甲山山頂の展望はいつ頃まであったのか

涼宮ハルヒの陰謀 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの陰謀 (角川スニーカー文庫)

 谷川流さん著「涼宮ハルヒの陰謀」においてSOS団が上る「鶴屋山」のモデルは、西宮市にある甲山(かぶとやま)です。

 ただし作中では山頂から市街地を見下ろすシーンがあるのに、甲山山頂からは西宮市街を見下ろすことはできません。

 では山頂からの展望は谷川流さんのフィクションなのかと言うと、恐らくそうではありません。私が初めて甲山に登った時には、既に山頂は木立に囲まれて展望がなかったのですが、山頂から市街地を見下ろすことができた時期があったようなのです。それはいつ頃の話なのか、ちょっと調べてみました。

    • 1794年頃。『摂津名所図会』兜山神咒寺。大げさに見えるけれども実は写実的で、甲山は本当にこんな山である。山頂まで木が茂っているようにも草が茂っているようにも見える。左上に史邦の俳句「上代の春日(はるひ)もうつれかふと山」
    • 1908年。阪神電車唱歌で「ゆくて急がぬ旅人は 登りて見よや甲山 一目に集まる摂河泉 山川さながら画の如し」と歌われており、山頂からの展望があったと思われる。
    • 1946年。山火事で東半分が禿山状態になる。
    • 国土変遷アーカイブ(空中写真)
      • 1948年。東半分が禿山状態。神呪寺が焼けなかったのは奇跡に近いかも。西と北東に登山道らしきものが見える。山頂には何も見えない。
    • 1956年。山頂に西宮市連合婦人会の平和塔が建てられる。
    • 国土変遷アーカイブ(空中写真)
      • 1961年。東半分はまだ木がないが、草は生えているように見える。西から太い道路が北東に抜けている(ロープウェイの工事跡か?)。平和塔も見える。神呪寺からの南東のつづら折り登山道も見える。五ヶ池ピクニックロードができている。
      • 1964年。東半分はまだ木がないが、草がより茂っているように見える。
    • 国土変遷アーカイブ(空中写真)
      • 1995年。山火事の跡はほとんど分からない。山頂は木に囲まれた広場になり、広場の北西に木が1本見える。この木は現在もある。


 1980年代後半〜1990年代前半の記録がなかなか見つけられないのですが、少なくとも1984年までは甲山山頂から麓が見えたようです。1980年頃には山頂に売店まであったようです(しかし、その売店の人はあの500段くらいある石段を食材を抱えて登っていたのでしょうか?)。

 谷川流さんが1970年生まれ、西宮出身であること、西宮市の小中学校では甲山森林公園への遠足が定番であることを考えあわせると、谷川流さんが甲山に登って山頂からの展望を見る機会はいくらでもあったと思われます。「涼宮ハルヒの陰謀」においてSOS団が鶴屋山山頂で見た光景は、谷川流さんの学生時代の記憶を元に描かれている可能性が高いのです。