メモ - 「学校を出よう!」1巻の舞台モデルは震災直後ではないかという仮説(検証不十分)

  • 蜻蛉迷宮」関連でJR住吉駅について調べているうちに、私は1995年にもこの駅を利用していたことに気付きました。
  • 以下、その経験から膨らませた仮説。検証はまだ不十分です。
    • 谷川流さん著「学校を出よう!」P140で高崎兄妹と抜水優弥が左折する交差点は、これまでの調査から国道2号の夙川橋の可能性が高いことが分かっています。下の地図では、北から夙川沿いに下りて来て、東に曲がることになります。しかしこの後、高崎兄妹の足取りはつかめていませんでした。


    • ここで、P154で高崎兄妹が乗車する「各駅停車しか止まらない」駅はJR西宮(当時は西ノ宮)駅とし、ここから神戸三宮方面に向かうものと仮定します。なおwikipedia:JR西宮駅を信じれば、JR西宮駅に快速が終日停まるようになったのは「学校を出よう!」1巻が出た後の2003年12月です。
    • そして震災直後をモデルにしているので、JR神戸線では住吉駅までしか行けないため、住吉駅で降車するものとします。


    • P170とP191の「国道」はJR住吉駅と阪急御影駅の間に通る山手幹線のことだと解釈します。西宮市内の山手幹線は最近開通したばかりですが、住吉付近では1988年に開通していました。作中の描写どおり、中央分離帯もあります。
    • ここで光明寺茉衣子と合流した高崎兄妹は元の駅に戻るのですが、超強引に阪急御影駅に行くものとし(ここが今回の仮説の最大の弱点)、そこから乗車して神戸三宮方面に向かうと見なします。
    • また、P126の倒壊した橋(この橋のモデルは夙川に架かる苦楽園橋か大井出橋の可能性大)、P170の倒壊したビル、P215の陥没した交差点は、震災を連想させます。
    • つまり何が言いたいかというと『「学校を出よう!」1巻中盤における高崎兄妹の調査行は、(谷川流さんが)震災直後に西宮から神戸まで移動した際の記憶から書かれているかも知れない』という仮説を無理矢理立てられないこともない、ということです。
    • ……と勢いで書いたものの、間違っていたら結構恥ずかしいですね。というか見直してみたら段々自分でも強引過ぎる気がしてきました。そもそも谷川流さんが震災直後に西宮から神戸まで移動したかどうかなんて立証不可能ですし(汗)。でも間接的な証拠を探して検討してみる価値はあると思っています。