移動した町の境界と取り残された住所表示が語るもの

 この電柱に巻かれた住所表示は下記の場所にあります。

 高崎佳由季の通学路 - 関西学院通用門への抜け道?で紹介した、関西学院大学の男子寮の前にあります。

 実は「上ヶ原八番町」と書いてあるこの住所表示は、上ヶ原八番町にはありません。どうみても「上ヶ原六番町」にあるのです。

 私はこの住所表示に散々惑わされてしまいました。惑わされていたこと自体に、先週末ようやく気付きました。先週末、「学校を出よう!」の舞台探索のために西宮市立北口図書館で調べものをしていた私は、1991年当時、すなわち谷川流さんが関西学院在籍時の関学周辺の地図を見て、愕然としました。

 町の境界の位置が、現在と違ったのです。

 三棟ある関学男子寮は2009年現在、すべて上ヶ原六番町にあります。すぐ南が八番町ですが、完全に離れています。しかし1991年の地図では、六番町と八番町の境界が現在より20〜30m北側にあり、関学男子寮は両町にまたがって建っていたのでした。そして寮の入口の通路は八番町の領域にありました。上の写真の住所表示は当時のものなのです。

 その後、何らかの理由で町の境界は南側に移動したのですが、なぜか住所表示は取り替えられずに残りました。

  • そしてここからが本題

 結果的に私は、関学男子寮がかつて上ヶ原八番町に属していたことを知ることになったのですが、これは「学校を出よう!」という作品の成立する過程を考える上で重要な意味を持っている可能性があります。すなわち

    • 1巻の主人公、高崎佳由季の住む学生寮(がある町)のモデル候補が、谷川流さんの学生時代に「上ヶ原八番町」にあった
    • 2巻の主人公、神田健一郎の住む町が「八番町」
    • 学校を出よう!」の元となった未発表作の題名が「上ヶ原ひみつ委員会」

であるため、「学校を出よう!」の1、2巻の設定はともに「上ヶ原ひみつ委員会」から派生したものである可能性が十分に考えられるのです。