補足あるいは蛇足

 上の話はあまりに単純なモデルで書きすぎたので、補足します。

 「すべてがFになる」の中で探偵のS&Mは全く変化しない訳ではありません。変化はあります。特にキャラクターとしての「S&M」のファンの方なら、2人の関係が微妙に変化していることに興味津々となると思います。ただ、その変化は「事件」と明確な関連性が無いように私は思うのです。

 「すべてがFになる」では、ラストで犯人に起きた変化が示唆されています。犯人のその変化は作中の事件の内容と明かに関連性があります。犯人にとって事件は必然だったのです。こういうところで森博嗣さんはとても理屈っぽいです。

 ところが探偵の変化と「事件」との関連性になると全然理屈がなくなってしまいます。いや、別に作中の全てに論理性がなくてもおかしくはないのです。世の中には偶然も多いのですし。それに「探偵の変化と事件との関連性」は(探偵が犯人でない限り)事件のトリック・謎解きとは関係ないので、ミステリーとしての欠点にもなりません。

 しかし作中で事ある事に論理を持ち出し、しかも「犯人の変化と事件との関連性」をはっきり書いている森博嗣さんが、「探偵の変化と事件との関連性」には必然性を持たせていないのには違和感を覚えます。この違和感が「探偵が事件によって変化しない」ことへの印象を強いものにしたように思います。