探偵の物語
- 作者: 法月綸太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1993/05/06
- メディア: 文庫
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を読んだのですが、おぉなるほど、これは森博嗣さんの「すべてがFになる」とはかなり違いますね。
「すべてがFになる」も「頼子のために」も探偵が事件を一歩引いた位置から観察する作品であることに変わりはありません。すなわち多くのミステリーがそうである(と思われる)ように
作品世界
探偵
↓(観察)事件という物語
という構造を持っています。ここで「すべてがFになる」の探偵である犀川&萌絵は、事件をほぼ一方的に観察し、事件という物語からはあまり影響を受けません。無論、犀川&萌絵もキャラとして人生を背負っていますが、それは事件とは深く関係があるように見えないのです。
一方「頼子のために」の「探偵法月綸太郎」(作者の法月綸太郎さんと区別するためにこう書きます)は事件を観察すると同時に、事件を自分自身の人生として背負い込んでいます。そのため、作品を「探偵の物語」として捉えたとき、「頼子のために」は「すべてがFになる」と大きく異なるのです。
試しに作品世界から「事件」を取り除いてみましょう。すると「すべてがFになる」は
作品世界
犀川&萌絵
となります。これはもうメインの事件がないので「すべてがFになる」とは言えません。しかし「犀川&萌絵」の物語としてはこれでもまだ成り立つのです。
ところが「頼子のために」から「事件」を取り除くと
作品世界
探偵法月綸太郎
これは「頼子のために」ではないだけでなく、もはや「探偵法月綸太郎」の物語ですらありません。(少なくとも「頼子のために」に関する限り)「探偵法月綸太郎」は事件と関わることによって「探偵法月綸太郎」になっているのです。
上の図では分かりくいかも知れませんので、具体的な例をイメージしてみましょう。
例えば私がコミケで「探偵法月綸太郎シリーズ」の同人誌を入手したとしましょう。もしその中で「探偵法月綸太郎」が事件に苦悩することなくのほほんと生きていたら、私は「こんなの探偵法月綸太郎じゃないやい!」と泣き叫んで打ちっぱなしのコンクリート壁に投げつけると思います。
しかし同時に「犀川&萌絵シリーズ」の同人誌を入手して、その中で西之園萌絵が事件などそっちのけで犀川助教授にラブラブであったとしても、私は「ま、それもありか」とつぶやいて通路に座り込んで読み始めると思います。*1
それくらい、両者は「事件に関わる探偵の物語」として違うのです。