直列的な「乙女塾」、並列的な「田村くん」
本田透さんの「アストロ!乙女塾!」を読みました。この「乙女塾」のエピソードの処理の仕方、竹宮ゆゆこさんの「わたしたちの田村くん」と比べてみると面白いかも知れません。
- 作者: 本田透,うろたん
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2005/10
- メディア: 文庫
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- 作者: 竹宮ゆゆこ,ヤス
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 2005/06
- メディア: 文庫
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「乙女塾」も「田村くん」も、ストーリーがヒロインによって分岐していくいわゆる「ノベルゲー」「ギャルゲー」の影響を受けている作品だと思うのですが、「分岐」(「マルチエンディング」といっても良いかも知れません)をどう小説に落とし込むかで大きな違いがあります。
- 乙女塾
- 主人公の少年が1人のヒロインを攻略すると、次のヒロインが登場。そのヒロインを攻略するとまた次のヒロインが登場、と物語が一本道で進む。ギャルゲーでは分岐するはずのストーリーが直列に繋げられている。
- 話が進行するほど主人公の周りにヒロインが増えるが、主人公はそのことでほとんど悩まず、最終的に全ヒロインを攻略する。半分は豪快な設定、半分は作者の「だってギャルゲーだもん♪」という開き直りでカバー。
- 主人公はプレイヤー、ヒロインはキャラという、読者側の2重の認識が必要!?
- 田村くん
- 主人公の少年の前に複数のヒロインが登場、攻略が始まる。ギャルゲーでは分岐するはずのストーリーが並列に同時進行していく。
- 主人公が攻略できるヒロインはMAXでも1人。自分の中で引き裂かれ悩む主人公。
- 主人公もヒロインも同じ地平に立つキャラクター。
「田村くん」で主人公が解離している分は、「乙女塾」では代わりに読者が解離する、という感じ。*1 「乙女塾」の方がギャルゲーをプレイしている状態に近いのですが、その時プレイしている貴方は解離しているんだよと「田村くん」は教えてくれているのかも知れません。
どちらも「分岐」をどう処理するかの解答であり、また、これとは別の解も有り得ると思います。が、「乙女塾」と「田村くん」を両方楽しむためには、恐らく頭の切り替えが必要でしょう。
肝に命じるがいいわ。無限の欲望は、無限の選択肢。叶えた欲望そのものが、あなたの運命をも変えてゆく。あなたはこの部屋で、ただひとつの叶えたい欲望――すなわち『運命』を自ら選びとることができるのよ。幸運ね―――
竹宮ゆゆこ「わたしたちの超!田村くん」電撃hPa 210ページ
*1:こんなことを考えてしまうのは、明らかに東浩紀さんの「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んだ影響があると思います。