津門綾羽町と今津巽町

 次の写真はハルヒの舞台捜しをしている際に、広田神社の境内で見た案内板です。

 これはちょっとびっくり。古代の西宮の海岸線は今と全く違っていたというのです。

古代、西宮市には南部の大部分に入海が出来ており、入海が完全に埋まったのは中世後期頃と考えられている。


Wikipedia-西宮-歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E5%B8%82#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

 西宮の太古の地形は下図で示すように、現在とは大きく違っていた。
 今の宮水地帯北方には入江が入り組んでおり、現在のJR西ノ宮駅あたりがその入江の入口と推定されている。JR西ノ宮駅あたりの地名を西宮市津門何々町(「津門」とは港をさす)と呼ぶ。『日本書紀』にでてくる「務古の水門」はここではないかと推定されている。

(中略)

 その入江が夙川・御手洗川などの氾濫等での流砂・礫で埋められてしまい、津門は港の用をなさなくなってしまった。それで、今の津(「今」とは新しいの意)である今津(灘五郷の一つ)という町ができあがった。


酒文化研究所-宮水の沿革(1)
http://www.sakebunka.co.jp/archive/history/011_1.htm

 2千年前〜1千年前、西宮の海岸線は広田神社あたりまでが入り海でした。入り海のくびれた辺りにある港の地域は、津門(つと)と呼ばれていました。「津」は港、「門」は入口を意味する言葉で、古くは務古の水門(むこのみなと)とも呼ばれていました。(中略)しかし、平安時代頃より夙川・東川の運ぶ土砂が入り海に堆積(たいせき)し、海岸線が南下していきます。津門は港としての機能を果たせなくなり、新しい港を意味する今津が築かれます。


語り部ノート にしのみや-広田-津門の入り海
http://info.leaf.or.jp/index.cgi?information,history_culture,item,6

 いやいや、面白いものです。

 ちなみに西宮市津門綾羽町の「綾羽」は日本に織物技術を伝えたとされる織姫の一人「アヤハトリ」に由来するものだそうです。あー、だから津門綾羽「紬」なのですか。ふむ。