メモ - 「学校を出よう!」1巻の舞台モデルは震災直後ではないかという仮説その2(検証不十分)

 上記エントリーの続き。ただし検証が進んだという訳ではなく、妄想が進んだという感じですが。


    • 前回の仮説では、高崎兄妹と光明寺茉衣子は阪急御影駅から乗車して三宮方面に向かうのではないかと推定しました。そして三宮を経由して神戸高速鉄道東西線の新開地駅で降車し、徒歩で大開駅上の交差点に行ったと考えます。
    • ただし神戸高速鉄道東西線の三宮〜花隈間が復旧したのは1995/6/1とかなり遅いです。同じ日に阪急神戸線の岡本〜御影間も復旧し、阪急夙川〜新開地間が開通しています。すると仮に谷川流さんが大開駅の陥没を見ていたとしても、阪急夙川から乗車した可能性が高く、前回エントリーのJR西宮〜住吉間を利用したとする仮説は崩れてしまいます。
    • また大開駅上の交差点は作中の描写のようなスクランブル交差点ではない可能性が高いです。
    • ……というようにこの「大開駅上交差点説」は無理がある仮説ではあります。が、しかしこの地域において橋が倒壊する(P126)、ビルが倒壊する(P170)、交差点が陥没する(P215)という事態が同時に起こったことは多分、谷川流さん生れて以降では阪神・淡路大震災しかなく、現実をモデルにしているとすれば、それは震災時以外ないのではないかとも考えます。
    • 我ながら少し妄想が先行しすぎています。客観的に確実な事実と想像でしかないものを分けて整理し、仮説を組み直したいと思います。