西宮文学回廊で「涼宮ハルヒの憂鬱」が(ちょこっと)紹介されている

 西宮市ゆかりの作家と作品を紹介する「西宮文学回廊」というサイトができまして、そこで谷川流さんの「涼宮ハルヒの憂鬱」もリストアップされています。

 それを言うなら「学校を出よう!」も「電撃!!イージス5」も「蜻蛉迷宮」も西宮が舞台な訳ですが、ある程度売れた活字作品でないと対象にならないのでしょうね。ちなみに有川浩さんの「阪急電車」もリストに入っています。


  • 「旅人」とゲンコツホテル

 ところで「西宮文学回廊」には故湯川秀樹氏の「旅人」も取り上げられています。この「旅人」には通称「ゲンコツホテル」という建物が登場するのですが、この建物は現在の県立西宮北高・苦楽園中・苦楽園小の敷地にありました。

 先日「語り部セミナー 〜苦楽園の今昔をたずねて」というNPOの講座があり、その中で「ゲンコツホテル」についての説明があったので聞きに行ってきました。(厳密には西宮市民でないと申し込めないのですが、「是非行きたいんです!」と言って参加させてもらいました。)

 これがその時のルートマップ(部分)。

 2番のところ、苦楽園小の敷地内に湯川秀樹氏の「旅人」の記念碑があります。


中間子論誕生記念碑

未知の世界を探究する人々は
地図を持たない旅人である

湯川秀樹

 そして道路をはさんで向かい側の北高の中には、「ゲンコツコツホテル」にちなんで作られた「ゲンコツ広場」があります。

 ゲンコツ広場の案内板。写真提供:きーぼーさん。


"ゲンコツ広場"の由来

 かつてこの地、大谷家の別邸に、石造りの円柱形の建物があった。
 かの湯川秀樹博士(ノーベル物理学賞受賞者)のその著『旅人』にも記されているこの建物は、「ゲンコツホテル」の異名で土地の人に親しまれたという。
 昭和46年本校の誕生により「ゲンコツホテル」は姿を消した。
 いま、その名をこの広場にとどめ”ゲンコツ広場”と命名し、母校に贈る。

 昭和62年2月24日

 第14回卒業生一同

涼宮ハルヒの憂鬱」に登場する「ゲンコツ広場」にはこういう由来があるのです。

 ちなみに上記講座によると、阪神・淡路大震災の際に北高と苦楽園中の校舎で被害の大きかった箇所は、かつて「ゲンコツコツホテル」内の池があった部分なのだそうです。

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