用意するものは人身御供論と実弾です、とうんちく好きは言った

 桜庭一樹さんの「少女には向かない職業」のかなり偏った感想です。「少女には向かない職業」のほか、「赤Xピンク」「推定少女」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」のネタバレありです。


 この感想は安眠練炭さん(id:trivial)の

 用意するものは日本地図と東京創元社解説目録です、と桜庭一樹ファンは言った
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20050927/1127829834

 への返信を兼ねております。私の桜庭一樹さん作品評(というほどのものではないですが・・・)に強い関心を示して下さる安眠練炭さんに感謝です。

地方の少女が外の世界へ向かう

 さて、安眠練炭さんはその中で「地方都市シリーズ」という言葉を書かれています。

 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』、「暴君」、『少女には向かない職業』の3作を仮に「地方都市シリーズ」と呼ぶことにしよう。東京からみれば「田舎」の一言で括られてしまうが、それでもやはり都市である。役所があり、商業施設があり、病院があり、公共交通機関がある。かつてはその土地独自の文化も伝統もあっただろう。だが、それぞれの都市の文化的機能は東京に吸い上げられてしまい、都市は形骸化している。依然として人口は集積しているので、都市が消滅したわけではない。ただ、独自色が薄れて朧気になっていく地方都市。それが少女たちの戦いの舞台だ。

 私は「暴君」は未読なのですが、この「地方都市シリーズ」という考えは良いところを突いていると思います。

 ところで、話が飛びますがid:megyumiさんが
http://d.hatena.ne.jp/megyumi/20050929/p3
で次のように書かれています。

そういえば、「砂糖菓子」「推定少女」やこれが地方を舞台としてたのに対し、自身転換点だと語っていた「赤×ピンク」は六本木という都会の話だなあとふと思った。主人公も社会人と思春期の子供ということで対極。

 この2つの言説は、実は同じことを別々の側面から書いているように私には思えるのです。
推定少女」は地方都市の少女が東京に出ていく話ですし、「赤×ピンク」の3人の主人公の内2人は地方都市出身なのですから。

 さらに読丸さん(id:yomimaru)は
http://d.hatena.ne.jp/yomimaru/20050716#hamacon
で「第44回日本SF大会HAMACON2」の、桜庭一樹さん×桜坂洋さん対談「サクラ対戦。」のレポートとして次のように書かれています。

桜庭作品には地方からの離脱が、桜坂作品にはユートピアからの脱出が、それぞれ根底に流れており、育ってきた環境とも密接に関連しているのではないか、というお二人ご自身の分析が印象的。

 実はこの「サクラ対戦。」は私も拝聴していたのですが(笑)、「地方からの離脱が根底に流れている」ことは桜庭一樹さん作品を紐解く重要なヒントなのであります。

 えーと、つまり何が言いたいかといいますと、「地方都市から出ていくことを試みる、あるいは地方都市から出てきた少女・女性の物語」として「広義の地方都市シリーズ」を定義してみてはどうかなと。「砂糖菓子の弾丸はうちぬけない」の山田なぎさも、住んでいる地方都市から自衛隊へと出ていきたいと思っていましたし、「少女には向かない職業」の大西葵も東京に憧れていたのですし。そうすれば「広義の地方都市シリーズ」には長編の

がみな入ると思うのです。いや、私が今更偉そうに書かなくてもそう考えられている方は沢山いらっしゃると思いますが。(^^;

都市と通過儀礼

 ここで話は再度飛びます。
 「地方都市から出ていく」意味を考える時、私はどうしても大塚英志さんの「人身御供論」を連想します。

人身御供論 通過儀礼としての殺人 (角川文庫)

人身御供論 通過儀礼としての殺人 (角川文庫)

「人身御供論」で大塚英志さんは、日本の共同体の中で通過儀礼がどのように変化してきたかをかなりの文量を使って述べられているのですが、それを私なりに解釈すると次のようになります。

  • 通過儀礼には共同体の外に「外部」が必要である。
  • 伝統的な<ムラ>には「外部」として<山>があった。<ムラ>→<山>→<ムラ>の往復が通過儀礼だった。
  • 近代になると<ムラ>の「外部」として<地方都市>が出現した。<ムラ>→<地方都市>への移動が通過儀礼になった。
  • <地方都市>のさらに「外部」として大都市<東京>があったので、<地方都市>→<東京>への移動が通過儀礼になった。
  • しかし<東京>で生まれた子供たちにはもう「外部」がない。代わりに<東京>→<虚構>へと移動したが、<虚構>は「外部」としては作用せず、子供たちは大人になれない。

そして

<虚構>はけっして<山>や<都市>の代わりとはなりえない。

と言い切るのです。

少女たちの居場所ではなく移動に意味があるのでは

 この大塚英志さんの通過儀礼論と、桜庭一樹さんの「地方からの離脱」、なんだか凄い似ています。「大塚英志なんて嫌いだぁ(涙)」という方もいらっしゃると思います。しかし学術的に正しいかとか、しがらみとかは置いておきまして、大塚英志さんの言説は桜庭一樹さんの「広義の地方都市シリーズ」を考える上で大きなヒントを与えてくれていると思います。

 例えば私はこんなことを考えたのです。

 大西葵がなぜ<虚構>に移動したと考えたかと言いますと、私は大西葵というキャラが「推定少女」の「お兄ちゃん」とダブって見えたからです。「推定少女」の「お兄ちゃん」は、ゲームの世界へ行って斧を振り回しています。大西葵はバトルモードに入って巨大迷宮でバトルアックスを振り回します。大西葵は「お兄ちゃん」と同じようにゲームという虚構空間に入ってしまったのではないか?そう思ったのです。バトルアックスは巨大迷宮の中では役に立っても、現実に戻ってきた時には役にたちませんでした。大西葵のバトルアックスは実弾ではなく、砂糖菓子でできていたのです。

とは言うものの

 以上の文章は短時間に勢いと直感で書いたものなので、かなりツッコミどころがあると思います。済みません。(汗)

「赤×ピンク」のまゆやミーコは<地方都市>→<東京>へと移動しただけでは通過儀礼を果たしていませんし、「推定少女」の巣籠カナの<東京>での体験は<虚構>っぽい気もしますし、「ゲーム=虚構」というのも短絡すぎやしないかと思います。

 そういう自分でも疑問に感じているところは、改めてじっくり考えたいと思います。もちろん、ツッコミも大歓迎です。(というかどなたもツッコミ入れてくれないのはそれでそれで寂しいです。笑)