より普遍的な

giolum2005-10-15


玲朧月さんが書かれていることに反応。

 次の言葉には結構考えさせられるところがあります。

「時代を超えて残るのは本物だけだ」

 ブームが過ぎようとも業界が壊れようとも本当に面白い作品は後に残るに違いない。

 「本物」という言葉に語弊があるとするなら「より普遍的」とでも言うべきでしょうか。ライトノベルというのはどんな作品にしろ「今」を描いていると思います。その中には、良いか悪いか、本物か偽物かは別にして、ひたすら表面的に軽く「今」を描くことを狙っている作品もあれば、より普遍的な根拠をもって「今」を描いている作品もあります。前者は消費され、読み捨てられ、すぐに忘れ去られるでしょう。それに比べると後者は残りやすいでしょう。世の中に絶対不変なものなどないですからあくまで相対的な話ではありますが。

 小野不由美さんや榊一郎さんの作品などは後者だと思いますし、今私がハマっている桜庭一樹さんの作品も後者でしょう。表面的な面白さももちろんあります。でもそれとは違った、より深い階層での面白さがあるんですよね。そうした深い階層での面白さというのは、表面的な面白さに比べて流行り廃りの波が小さいと思うのです。

 魔王14歳の幸福な電波さんが次のように書かれています。

もしかしたら二十年後三十年後の読者は桜庭さんの描く"少女"を実感として理解できなくなるのかもしれませんね。

 確かにそうだとは思います。表面的なものだけを追っている作品では20年後、30年後に読んだら「なんじゃらほい」としか思えないでしょう。でも桜庭一樹さんは表面的に「少女」を描いているのではなく、より普遍的な根拠をもって「少女」を描いているのです。ですから20年後、30年後に桜庭一樹さんの作品を読んで「少女」を実感できなくなっていたとしても『ああ、20年前、30年前にこういう「少女」がいたんだ』ということは多分感じとれると思うのです。言うなれば「今を切り取る」ことができているのです。

 ……なんて考えたのですが、どうでしょう。

 (いや、より普遍的だから流行り廃りの波が小さいんじゃなくて、流行り廃りの波が小さいから普遍的だと言われるんだろう?)

 (う"……)