ぼくたちには色彩が足りない 色に関するLesson8 主観的な色使い

デスラー総統


 主観的な色使いとは端的に言いますと

 ありえねー!でも、OKー!

な色使いのことです。ちょっと前ならば若菜等+Kiさん、最近では高野音彦さんなどが主観的な色使いをしています。スニーカー文庫版「愚者のエンドロール」の表紙イラストを例に説明いたしましょう。

 「愚者のエンドロール」の表紙の少女は非現実的な色の髪をしています。服もそうです。こんな色の光景は現実にはあり得ません。しかし高野音彦さんは別にデタラメに色を使っている訳ではないのです。

 使われている色を順に観察してみましょう。まず顔からです。

  • 瞳は青。これに対して髪は黄、赤、緑。

 この4色は色相環上で四角形を作ります。単独で使われている瞳の青にインパクトがありますが、顔全体ではバランスが取られています。次に服を見てみましょう。

  • 襟は緑。これに対して白の布地の部分は青、黄、赤。

 やはり色相環上で四角形を作る4色が使われています。襟の緑が目立ちますけれどもね。次にスカートを見てみましょう。

  • スカートは青、赤、黄、緑がほぼ均等。

 ここはインパクトは捨ててバランスだけを取っています。インパクトを捨てているのは鑑賞者の視線を顔の方に集めるためでしょう。最後に背景を見てみましょう。

  • 背景は赤、黄。

 これは瞳の青と襟の緑の補色になっています。と言う訳で、なんかこじつけみたいに聞こえるかも知れませんが、使われている色は補色を取るかバランスを取るか、いずれにしろ人間の色覚に訴える相関関係になっています。

 それゆえ、このイラストは

 自然界ではあり得ないのに、人間の感覚上綺麗に見える

という摩訶不思議な作品になっているのです。*1

愚者のエンドロール

*1:こうした主観的な色使いは20世紀初めのフォーヴィズムと呼ばれる芸術運動よって編み出された技法で、現代芸術の大発明の一つだと言われています。