「涼宮ハルヒの消失」のゲーム的リアリティー

 「学校を出よう!」と同じ谷川流さん著の「涼宮ハルヒ」シリーズも、時間跳躍や並行世界を用いたパラレルな構成になっています。ここでは「学校を出よう!」ほど明確な「複数の私」が描かれていません。しかし

ゲーム的リアリズムは、キャラクターの死を複数の物語のなかに拡散してしまうかわりに、その複数性に耐える解離的な生を描き、キャラクター・レベルとプレイヤー・レベルの二重構造を導入することで現実を作品化する。

ファウスト Vol.6 SIDE―A 301ページ、東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生

であることを考えると「涼宮ハルヒの消失」などはなかなかに「ゲーム的リアリズム」な作品に思えます。

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

 この作品は

  • 主人公キョンが並行世界のなかで「プレイヤー」として行動する。
  • 並行世界の他の登場人物は「キョン=プレイヤー」に命運を左右される「キャラクター」である。
  • キョン=プレイヤー」はひとつの物語を選択することで、「キャラクター(とりわけ長門有希)」が他の並行世界の中に持っている可能性を絶つ。「キョン=プレイヤー」は「キャラクター(しつこいようだが、とりわけ長門有希)」の「絶たれた可能性」もしくは「絶たれた可能性を生み出した可能性」を背負い込むことで、自分で選択した物語の中を解離的に生きていく。

と解釈することができると思います。これは「All You Need Is Kill」ほどクリアではないものの、やはり「ゲーム的リアリズム」を満たしているように見えます。

 ちょっと「ゲーム的リアリズム」を鵜呑みにし過ぎてる感じが自分でもしますが、このアングルは面白いですね。上遠野浩平さんや時雨沢恵一さんの作品は「複数の私」が明確でない点で「ゲーム的リアリズム」というよりまだ「まんが・アニメ的リアリズム」に近いですし、対して谷川流さん、桜坂洋さん、桜庭一樹さんの作品はぐっと「ゲーム的リアリズム」に近いです。

 というか桜庭一樹さんの「推定少女」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」「少女には向かない職業」などは、個々の作品は「まんが・アニメ的リアリズム」だけれども、最後に全部集めると「ゲーム的リアリズム」になると言えそうですね。

 まぁ、解釈なんてなにが絶対的に正しいという訳でもないですし、こうしたアイデアを楽しみたいと思います。