「涼宮ハルヒの消失」のゲーム的リアリティー
「学校を出よう!」と同じ谷川流さん著の「涼宮ハルヒ」シリーズも、時間跳躍や並行世界を用いたパラレルな構成になっています。ここでは「学校を出よう!」ほど明確な「複数の私」が描かれていません。しかし
ゲーム的リアリズムは、キャラクターの死を複数の物語のなかに拡散してしまうかわりに、その複数性に耐える解離的な生を描き、キャラクター・レベルとプレイヤー・レベルの二重構造を導入することで現実を作品化する。
ファウスト Vol.6 SIDE―A 301ページ、東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生」
であることを考えると「涼宮ハルヒの消失」などはなかなかに「ゲーム的リアリズム」な作品に思えます。
- 作者: 谷川流,いとうのいぢ
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2004/07/01
- メディア: 文庫
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この作品は
- 主人公キョンが並行世界のなかで「プレイヤー」として行動する。
- 並行世界の他の登場人物は「キョン=プレイヤー」に命運を左右される「キャラクター」である。
- 「キョン=プレイヤー」はひとつの物語を選択することで、「キャラクター(とりわけ長門有希)」が他の並行世界の中に持っている可能性を絶つ。「キョン=プレイヤー」は「キャラクター(しつこいようだが、とりわけ長門有希)」の「絶たれた可能性」もしくは「絶たれた可能性を生み出した可能性」を背負い込むことで、自分で選択した物語の中を解離的に生きていく。
と解釈することができると思います。これは「All You Need Is Kill」ほどクリアではないものの、やはり「ゲーム的リアリズム」を満たしているように見えます。
ちょっと「ゲーム的リアリズム」を鵜呑みにし過ぎてる感じが自分でもしますが、このアングルは面白いですね。上遠野浩平さんや時雨沢恵一さんの作品は「複数の私」が明確でない点で「ゲーム的リアリズム」というよりまだ「まんが・アニメ的リアリズム」に近いですし、対して谷川流さん、桜坂洋さん、桜庭一樹さんの作品はぐっと「ゲーム的リアリズム」に近いです。
というか桜庭一樹さんの「推定少女」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」「少女には向かない職業」などは、個々の作品は「まんが・アニメ的リアリズム」だけれども、最後に全部集めると「ゲーム的リアリズム」になると言えそうですね。
まぁ、解釈なんてなにが絶対的に正しいという訳でもないですし、こうしたアイデアを楽しみたいと思います。