深層心理を描くためのファンタジー〜アンダカの怪造学

 日日日さんの「アンダカの怪造学II モノクロ・エンジェル」

を読みました。1巻を読んだ時に世界観がユング心理学っぽいな〜と思っていたのですが、2巻もこれまたユングですね。

 ファンタジーを深層心理の描写に使うという考え方は、どうもファンタジーというジャンルが成立したのとほぼ同時期にできていたようです。ところが日本にファンタジーが輸入されてきた際には「ファンタジー=深層心理」という考え方は一緒に入ってきませんでした。別にそのことは良くも悪くもないのですが、結果的に日本でのファンタジー作品は、ファンタジーであることの意味付けや必然性は二の次で、ファンタジーのためのファンタジーになりやすい傾向があると思います。

 その一方で、ファンタジーを深層心理と結びつけている作家さんも決して少なくはないのです。日日日さんもほぼ間違いなくその1人だと思います。日日日さんの他のシリーズではあまり明確ではないですが、この「アンダカの怪造学」では「ファンタジー=深層心理」という構図がはっきり見えています。

 「アンダカの怪造学」における異世界「虚界(アンダカ)」は、ユング心理学における普遍的無意識に置き換えて読むことが可能です。虚界への探索は意識から無意識へのダイブであり、怪造生物は無意識が具現化したものと言えます。

 例えば「魔王」は主人公の伊依(あるいは人類全体)自身の心の影ですし、伊依が首から提げている「滅作」は、父親への劣等感をキャラクター化したものですね。2巻の「モノクロ・エンジェル」は解体された自我の融合・再生を象徴するものです。

 伊依は「怪造生物との共存」を理想としていますが、これは「意識と無意識の共存」を目指していると言えます。逆に怪造学会の怪造生物を支配しようという傾向は「意識による無意識の抑圧」を暗示させるものです。

 まぁ、そこまで難しく考えなくても、この作品に登場する怪造生物たちが伊依や舞弓たちの心理を結構ストレートに反映していることは、読んでいる方なら薄々感づかれているでしょう。そこには、ファンタジーであること自体を目的とはせず、ファンタジーを「伝えたいことを表現する手段」としている日日日さんのスタンスが見えます。ファンタジーを書くのではなく、その先にあるもの、ファンタジーだからこそ書けるもの書く。このクールなスタンスを、創作作家として忘れないでいて欲しいです。例えライトノベルというお手ごろな作品媒体であったとしてもね。