一人称でも主人公ではないラグナロク

萌え理論〜可能世界の恋愛感情〜-『ドラえもん』の主人公はだれか

 これを読んで思い出したのが安井健太郎さんの「ラグナロク」シリーズですね。

スニーカー・アルティメットガイドRAGNAROK

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ラグナロク」本編は意志を持った剣(一種のAI)であるラグナロクの一人称で書かれています。シリーズタイトルにもなっていますし、ザ・スニーカー誌上で何度か行なわれた人気投票でも1位はラグナロクの指定席でした。

 けれども「ラグナロク」の主人公はラグナロクではありません。物語を能動的に動かしていく主人公は、ラグナロクの相棒であるリロイ=シュヴァルツァーなのです。(上の「アルティメットガイド」の表紙がリロイ、「廃都の幻影」の表紙がラグナロクです。)

 タイトルが主人公でない例は幾らでもあります。「イリヤの空、UFOの夏」の主人公は表紙を独占した伊里野ではなく表紙に一度も登場しない浅羽であり、「涼宮ハルヒ」の主人公もハルヒではなく表紙に一度も登場しないキョンです。*1とはいうものの「イリヤの空」は浅羽の立場で書かれていますし、「涼宮ハルヒ」はキョンの一人称で書かれているので、文章レベルでの主語は主人公と一致しています。

 それに対して「ラグナロク」は文章レベルでの主語(ラグナロク)と物語レベルでの主人公(リロイ)が一致しません。これが「ラグナロク」の面白さの一つだったのではないかと思います。こういう例は探せばいくらでもあるのでしょうが。

*1:これらの作品でタイトルと主人公が一致しない理由は、まず第一にヒロインを立てる商業的なイメージ戦略だと思います。主人公=読者の視線化、匿名化とも捉えられなくはないですが。