物語が失われた時代に「荒野の恋」はどう読まれるのか

 「荒野の恋 第二部」を読んでから2週間ほど経つのですが、未だに感想がまとまりません。

荒野の恋 第二部 bump of love (ファミ通文庫)

荒野の恋 第二部 bump of love (ファミ通文庫)

 「キャラクターと物語の関係の逆転現象に『萌え』の本質はある」と東浩紀さんは言う訳ですが、桜庭一樹さん作品の本質*1はキャラクター優位の時代に物語優位な作品で勝負していることのように思えます。桜庭一樹さんの作品は戦闘美少女や眼鏡の義理の妹を主役に据えるキャラクター小説ですが、その重きはむしろ物語にありそうです。

 ところで、あとがきによると次の第三章では17歳の荒野が書かれることになっています。つまり

  • 第一章:12歳の荒野
  • 第二章:13〜14歳の荒野
  • 第三章:17歳の荒野

という3バージョンの荒野の「小さな物語」が提示される訳ですが、これらの奥に読者は何を見い出すのでしょう。3バージョンの荒野を並列的に捉えて大きな非物語のデータベースを見るのでしょうか。それとも荒野を直列的な1人のキャラクターと捉えて大きな物語*2を見るのでしょうか。

*1:「本質」と書いている記事ほど本質から外れていたりします。

*2:そうだとしても「荒野の恋」は「7人の女の子をめぐる7つの物語」を構成する1つの「小さな物語」でしかないのでしょうが。