色彩分割と視覚混合

印象派の場合はある程度離れて見なければほとんど意味不明な色の羅列になってしまう。残念ながら色彩理論を知らないので理由は説明できない。きっとぎをらむ氏なら理路整然と解説してくれることだろう。

一本足の蛸-近づくほど遠ざかる
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20060320/1142837740

 あー、私が解説するんですか。(^^;
 キーワードは4つあります。「色彩分割」「視覚混合」「減法混色」「加法混色」。

1.色彩分割

 印象主義にみられる色の羅列は「色彩分割」とか「筆触分割」と言います。

 画家が「A」という光を見て、これをキャンバス上に描こうとする際、残念ながら「A」そのものの絵具があることはまずありません。そこで画家は「A」の光が何色と何色の絵具を混ぜると作れるかを考える訳です。

 ここで便宜上、「A」は「B」と「C」の2種類の光の間にあるとします。印象主義の画家は「おお、AはBとCの中間だ」と気付く(これをよく「色を見つける」と言います)と、絵具を混ぜないで絵具Bと絵具Cをキャンバス上に並べて置きます。

2.視覚混合

 鑑賞者は絵具Bと絵具Cがはっきり見分けられないところまで離れて同時に鑑賞します。この時、ただ離れるだけだと目に余分な光が入ってしまうので、カメラをしぼるように目を細めるのがコツだと言われています。鑑賞者は絵具Bと絵具Cを同時に見ることで画家が描きたかった「A」という光を再現するのです。この作業を「視覚混合」と言います。

3.減法混色

 なぜこんな回りくどいことをするのか?絵具を混ぜてしまえば良いじゃないか?と思われるでしょう。しかし絵具は混ぜると暗くなってしまうという罠があるのです。光「B」と光「C」の中間に光「A」があっても、絵具「B」と絵具「C」を混ぜて出きる絵具「BC」は混ぜる前の絵具よりも暗いのです。この混ぜると暗くなることを「減法混色」と言います。

4.加法混色

 一方、光「B」と光「C」を混ぜてできる光「A」は混ぜる前よりも明るくなります。これを「加法混色」と言います。

 しかし絵具は「減法混色」なので混ぜても「加法混色」はできない、つまり光「A」は再現できません。ではどうすれば良いのか?

 そこで登場するのが「色彩分割」「視覚混合」です。絵具を混ぜると暗くなるならば、絵具の段階では混ぜないで鑑賞者が見る時に混ぜれば良い訳です。鑑賞者が見るのは実は絵具ではなく「絵具から反射された光」なので、鑑賞者が混ぜる時は「減法混色」ではなく「加法混色」*1になります。すなわち鑑賞者は画家が描きたかった光「A」を見ることが出来るのです。

 まとめると次のようになります。

  • 印象主義以前の絵画:
    • 自然の光景:光「A」
    • キャンバス上:絵具「B」「C」を減法混色→絵具「BC」
    • 鑑賞者:絵具の反射光「BC」(光「A」より暗い)
  • 印象主義絵画:
    • 自然の光景:光「A」
    • キャンバス上:絵具「B」+絵具「C」
    • 鑑賞者:絵具の反射光「B」「C」を加法混色→光「A」

 なので同じ自然の光景を描いていても、絵具を混ぜるクールベやコローの絵と色彩分割のモネやシスレーの絵では全く明るさが違います。鑑賞者に視覚混合させることで絵に「加法混色」を持ち込んだこと、「映像とはつまり人が光を見ることなんだ」と主張したことで印象主義は映像技術に革命を起こしたのです。*2

 ちなみに「ポーラ美術館の印象派コレクション展」は実際に京都に見に行ってきました。個人個人の視力によって変わると思いますが、モネの「バラ色のボート」は4mほど離れれば私は視覚混合できました。「ルーアン大聖堂」は5mほど必要でした。意外だったのが点描技法のシニャックで「オーセールの橋」は7〜8m必要でした。

 それと「ポーラ美術館の印象派コレクション展」は会場が狭いことを除けば、印象主義、ポスト印象主義の要点を教科書通りに押さえている良い展覧会でしたよ。美術書を一通り読んだ後に「印象主義、ポスト印象主義の絵をじかに見てみたい」という場合にはお薦めです。今回の会場ではなくて本来の「ポーラ美術館」ならばもう少し広いでしょうし。

*1:視覚混合による混色を狭義の「加法混色」とは区別して「並置混色」「中間混色」と呼ぶこともあるようです。

*2:というのは後付けの理屈で、モネもシスレールノワールもそこまでは考えていなかったそうですが。