「赤×ピンクの関係」と「子×親の関係」というアイデアメモ

 「女の子×女の子」

「赤×ピンク」の関係とは、つまり「赤」のキャラクターにとって「ピンク」のキャラクターが〈移行対象〉としてあることを示すということだろう。

と書かれていますが、これは桜庭一樹さん作品において「通過儀礼」を見出そうとする時にとても重要なポイントになりそうです。

 大塚英志さんの「人身御供論」によると、通過儀礼における「移行対象」は最後にその主によって殺される運命にあります。すると上の引用部分は、次の様に言い換えることができます。

 桜庭さん作品での「赤×ピンクの関係」とは、「赤」のキャラクターが「ピンク」のキャラクターを「移行対象」として通過儀礼的に殺すことである。

 ところで「女の子×女の子」と「人身御供論」を読み比べていて気付いたのですが、「親」も子どもにとっての「移行対象」になりうるのですから、「親殺し」の通過儀礼も実のところ「移行対象殺害」になりうるのですよね。ここで「子×親の関係」という用語を作ってみましょー。

 「子×親の関係」とは、「子」のキャラクターが「親」のキャラクターを「移行対象」として通過儀礼的に殺すことである。

 すると「赤×ピンクの関係」と「子×親の関係」を「移行対象殺害」として同格に位置付けることができます。

 「推定少女」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」における「赤×ピンクの関係」は、偶然か必然か「行きて帰りし物語」の中で行なわれています。なので私が「少女たちの通過儀礼」において、「推定少女」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を「行きて帰りし物語」と「親殺し」で説明したことは間違ってはいないと思います。が、これはたまたま上手くいっただけなのかも知れませんし、本質からはややピントが外れていたような気がします。むしろ「推定少女」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」は「赤×ピンクの関係」と「子×親の関係」で、もっと要約すれば「移行対象殺害」で説明したほうが良いような気がしてきました。

 ただ、すべてを「移行対象殺害」に当てはめてしまうのも無理があります。「行きて帰りし物語」のような場所の移動を伴う通過儀礼は、「移行対象殺害」とは別のベクトルで存在する枠組みでしょう。「移行対象殺害」と「移動による通過儀礼」、この2つをどうにかして結びつけて考えられないかな……。