『犬はどこだ』の、あまりまともではない感想

犬はどこだ (ミステリ・フロンティア)

犬はどこだ (ミステリ・フロンティア)

 以下の文章は米澤穂信さん著「さよなら妖精」「犬はどこだ」「ボトルネック」の内容に触れていますのでご注意ください。

桜庭一樹地方都市シリーズ

*4:この用語については用意するものは日本地図と東京創元社解説目録です、と桜庭一樹ファンは言ったを参照されたい。なお、これを受けてぎをらむ氏が用意するものは人身御供論と実弾です、とうんちく好きは言ったで「広義の地方都市シリーズ」を提唱している。拙文では都市空間内部のみに着目したのに対して、ぎをらむ氏は都市の外部に視野を広げて登場人物の移動という観点から分析を行っている。ぎをらむ氏の分析手法は『ボトルネック』にも適用できるのではないかと思うのだが、そのうち氏本人が何か書いてくれることを期待して今はスルーする。


ボトルネック』の、あまりまともではない感想(の注記)
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20060901/1157122012

 安眠練炭さんから上のようなご指名を受けたので、米澤穂信作品で未読だった「さよなら妖精」「犬はどこだ」「ボトルネック」を人物移動の点に気をつけて読んでみました。しかし「ボトルネック」は難解な作品で、まだ今の私にはよく分からないです。一応「ボトルネック」で気になった点をメモしておきます。

    • 川→都市の中を区切る、橋→都市の中をつなぐ舞台装置なのかな?
    • 山→都市の外部、死の場所?
      • ボトルネック」でノゾミが死ぬのは山ではないが、都市から離れた海涯「東尋坊」(東尋坊に行く途中、P157〜P161の少年「川守」との会話も何かしらの意図がありそう)
      • さよなら妖精」P307で守屋と太刀洗はマーヤのバレッタを山頂の墓地に埋める(その直前、P305で跡津川を渡るのも意味深です)
      • 「犬はどこだ」終盤で佐久良桐子が間壁を山中の城跡で殺害する
  • 「犬はどこだ」における地方都市からの移動

ボトルネック」では人物の移動がその登場人物にどう影響しているのかをうまく見出せませんでした。しかし「犬はどこだ」では、かなり明確に見出すことができると考えます。対象となる人物は探偵役・紺屋長一郎と、紺屋が探す失踪人・佐久良桐子です。

    • 紺屋長一郎:地方都市出身→大都市に出る→病気で地方都市に戻る→佐久良桐子失踪事件では山中の城跡に登るが途中で引き返す→地方都市に戻っておびえて暮らす
    • 佐久良桐子:地方都市出身→大都市に出る→(困難に突き当たって地方都市に戻る)→山中の城跡で自力で決着をつける→再び大都市へ

 紺屋は失踪中の佐久良桐子を調べるうちに「地方都市から大都市に出た後、困難に突き当たって地方都市に戻る」という境遇に共感していきます。そして佐久良桐子を救おうと山中の城跡に登り始めます。

 しかし、山を登る途中で事件の真相に気付きます。佐久良桐子は困難から逃げているのではなく、決着を付けようとしていたのです。その時、紺屋の佐久良桐子への共感は畏怖へと変わります。なぜなら地方都市から出ることができない紺屋にとって、大都市に出て困難にも自力で打ち勝つ佐久良桐子は到底敵わない存在だからです。紺屋には城跡まで登る選択肢もあったはずですが、結局は引き返して山を下ります。

 佐久良桐子は山中の城跡で自力で決着をつけて再び大都市へ行きます。彼女にとってこれは「大都市→山→大都市」の「行きて帰りし物語」型の通過儀礼とみなせるのではないでしょうか。一方の紺屋は城跡まで登ることができませんでした。彼にとってはこのことは単に事件を防げなかっただけでなく、かつての「地方都市→大都市」という自己実現の挫折をリベンジする「地方都市→山→地方都市?」の通過儀礼をも果たすことができなかった手痛い挫折なのではないでしょうか。もう一度まとめ直すと次のようになります。

    • 紺屋長一郎

 こうして見ると、紺屋は佐久良桐子と比較して負けっぱなしです。スタート地点が似ているだけに紺屋にとっては余計辛いところです。

 恐らく「ボトルネック」におけるリョウとサキの分岐的な関係、言い換えると「分岐点まではほぼ同じだったのに、分岐後に大きく差がついてしまった」関係は、上記の紺屋と佐久良桐子の相対関係と同じアイデアから生まれたものだと考えます。

 ただ、やはり現時点の私には「ボトルネック」における人物の動きは良く理解できていません。そこのところはゆっくり考えたいと思います。